イワケーン日記

何かを巻き起こす良いハリケーンでいたい。建築・インテリアデザインの仕事がメインです。このブログに書いているのは正しい意見ではなく、「僕が感じたこと」の記録です。@iwakeen1017

スーパーリアリズム上田薫展

こんにちは。イワケーンです。

「リアルなモノ」ということを考えた記事です。

・上田薫さんの作品をみてみたい

・どうすごいのかわからない

 という方には何か参考になるかもしれません。リアルに対する備忘録。

 

目次はこちら!!

 

1.写実的な絵と出会う

先日、横須賀の海辺にある美術館へ展覧会へ行ってきた。目的は上田薫展という画家の展覧会だ。写実的な絵を描かれることで有名な方で、是非見に行こうと妻と話して見に行くことになった。

実はその2週間前に千葉県のホキ美術館にいっており、そこでも写実主義の絵を見たあとだった。そこで感動したので、他にもやっていないか探してみた訳だ。

上田薫さんは現在も活動中の画家で写実的な絵を描かれる。作品サイズは巨大なものが多く、自分の食べているものや、手にしている物がこんなに美しいのかと再認識させられる程だ。

 

2.スーパーリアリズム

面白いのは単なるリアリズムではなく、スーパーリアリズムという点にある。例えば、有名な「なま卵B」。一見すると、本物の様だと驚くべき写実主義の絵であるが、実はそうではない。

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なま卵B

よく見ると卵を割っている筈の手は描かれていない。しかし、描いてあるのはまさしくフライパンの上で割る瞬間だ。おかしいことに気付く。その手で割る瞬間があるから、この絵の構図がある筈なのに手が描かれていないのなら、この現象は起きないからだ。つまり、上田薫さんはある瞬間から手を除いた後を想像して描いているのだ。

 

ここにスーパーリアリズムの本質がある。「フライパンの上で、手で生卵を割る瞬間」ではなく「生卵を割る瞬間」という極限までに一点に集中させた一瞬をとらえている。割る瞬間に「手は邪魔でしかない」のだ。これは簡単に「リアルを描こうとしてリアルが描けていない」という矛盾ではなく、リアルを超越したからこそ生まれるスーパーリアルである。現に、上田薫さんの解説なしには手が無いことに気が付かなかった(笑)シンプルに「割る瞬間」を楽しめたとも言える。

 

他の絵にも似たようなことが言える。サラダを見たときもそうだ。本物の様だと思いながらも、上田薫さんが実際に描かれるメイキングを見るとサラダより絵のサラダのほうがみずみずしい。本人も「どうすればシャキシャキという食感を見ていて感じられるか、水水しくかけるか考えながら描いています」と話す。

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サラダB

3.正しくなくてもいい

要するに、どう見せたいかということを中心にして描くためスーパーリアルになるわけだ。本来、そのままを描くことが正しい写実の観点からすると多分正しくない。しかし、そんなこと構わないでしよ?と絵が言っている様だった。面白い発見だ。


この発見は、僕の中でとても力になった。正しく描いたり、作ったりするばかりが正解という訳ではないと心底理解できたからだ。


正しいことがスマホから瞬間的に取り出せる世の中は結構息が詰まる。そんな中で肩の力を抜くことのできる、そんな発見だった。

 

とても素晴らしい展覧会なので、是非行ってみてほしい。海軍カレーまた食べたい。余談ですが、横須賀美術館は冬期16-17時に来館すると日が落ちるタイミングで館内が青くなるんだとか。それが神秘的らしい。学芸員の方が仰っていました。