イワケーン日記

何かを巻き起こす良いハリケーンでいたい。建築・インテリアデザインの仕事がメインです。このブログに書いているのは正しい意見ではなく、「僕が感じたこと」の記録です。

「CGみたい」という表現の危険性

 
 
変な表現に出会った話、そこから考えてみました。
 
 

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サクラがきれいなこの季節。
特に今年のこの時期は気温もあって、雨がふらず
長い時間サクラを楽しむことができました。
 
普段、ちょっと出不精の僕も「よし、見に行こう!」と
外にでることにしました。
 
行ったのは名古屋城ちかくにある名城公園
たくさんのサクラが立ち並び、なんとも華やかな景色です。
 
お昼からご飯をたべたり、お酒を飲んだりとサクラを背に楽しむ方でいっぱいです。
 
しかし、人がやけに多い。。なぜかというと
新しく金シャチ横丁という飲食店がはいった商業施設ができたため
名古屋名物の矢場とんや、インスタ映えをねらった金箔アイスクリームなどなど、盛りだくさん。
 
大勢のお客さんがその横丁を歩く中、僕も巻き込まれるように歩いてみた。
 
お店の写真を撮影していた時に
 
サクラ吹雪が歩く人めがけてゆっくりと降り注いだ。強い風では無かったのでそれこそ秒速5センチメートルくらい。
きれいだなぁ。なんて表現すればいいのだろうかと、つい考えてしまった。
 
そんな時となりの女性が、
 
「CGみたい」
 
と言っていた。別にふざけているわけでもなく、感動して口から出た言葉。そんな表情をされていた。
 
それを聞いた僕は、なぜだか疑問と違和感を感じました。
現実のものを見てなぜ仮想のものに例えるのかな?けどなんとなく、わからなくもない。
 
それが気になってしまった。もお、僕はサクラどころじゃありません。
なんでか、違和感を感じているけど、否定もできない自分がいて、それがなぜなのかわからない。
 
家に帰ってから考え、2,3日考えてみた。
 
 
まずは「例える」ことについて考えてみた。
辞書やググッて検索してみると「例える」ことにはいくつかの種類に分かれる
「直喩・隠喩・換喩・提喩」などなど。
 
それぞれの意味については別でお調べいただくとして
読み取れたのは
「基本的に例えることは、原初的なものを表すことが多い」
ということ。
 
「ふわふわの綿あめ、まるで雲みたい。」
 
「ライザップに通ったおかげで彼は鋼の肉体を持つことができた。」
 
など、物質に例えることが多いわけです。
 
もう一つ。
 
 例えるためには、例える「もの」のソースを見たり触ったりと経験・理解・認識していることが必要です。
そうでないといくら例えても陳腐になってしまうのが目に見えてるし、誰だってそう思う。
 
「この食べ物、あれだ!ヤンソン・フレステルセに似てるよね!…食べたことないけど」
 
こんなの誰も聞いてくれません(笑)
 
 
これらを踏まえ、最初の疑問に戻ります。
 
CGは原初的なものなのか?
 答えは「NO」
はじめに言いましたがCGは現実ではなく仮想の表現です。けどこれは言った本人も、もちろん認識しているはず。
 
「CGみたい」と表現した女性はCGで作成されたサクラを見たことがあるのか?(経験・理解・認識)
おそらく答えは「NO」
よほどCGに携わっている人間でもそんなに見たことがないと思います。
 もしかしたら見たことあるかも知れないけど。。。
 
 
CGが仮想であることを認識して、CGのサクラを見たことがないのに「CGみたい」と例えている。不思議な表現です。
 
けど、これって
 
 例えようがない、けど見たことがあるような無いようなもの = CGみたい
ではないだろうか。
 
 自分の引き出しにないものの表現はCGという言葉、そのCGという母体イメージなるものを指すしかないんです。
そう考えるとなんとなく納得がいく。
 
直に見たことがないものを指し示すのに「CGみたい」はぴったりなわけです。いろんな「もの」をすっ飛ばして。
 
これは誰にでも言えることです。僕も初めて名古屋にあるスパイラルタワーズを見たときは、建物の形が面白い形すぎて
思わず「CGみたい」と言ってしまいました。
 
この表現は誰にでも使うタイミングが出てくる可能性があります。
 
ただ、たくさんのことを経験して色んなものを知っている人は例える引き出しの数が多い。
きっとCGみたいという表現を使うことは少ないでしょう。
 
ですが、ネットでなんでも見れてしまうこの世の中。
ましてや最近流行りのVR(バーチャルリアリティ)の普及。
 
「CGみたい」を助長させているように思えます。
 
最終的には建築空間や自然の空間も
全て本物を見たことがないのに、経験してしまう世の中がやってきそうです。
 
いちいち、本物で例えなくても「CGやVRで見たことのある〇〇のようだ」と言って、それでまかなえてしまうかも知れません。
 
僕的にはなんだか、それが変な感じがしてたまりません。
 
 
だって、CGやVRはある特定の製作者らが見せたいように切り取ったイメージで、全てでは無いんだから。
なんで、一度他人がメタ化、あるいは加工したデータを見て、ものを考えないといけないの?
 
製作者がよほど経験豊富で素敵な景色やものを知っていて、それを伝えることができるならともかく
そうでは無い可能性が大きい。
 
けれど、そんなことも関係なく進んでいくIT産業。
 
将来、視覚的にものみて、どうこう言う人よりも
視力がなくてもそれ以外の感覚をフル活用して生きている人たちの方が表現は豊かになるのかもしれません。
 
これからは物を見て表現するときは、いろんな言葉、体の感覚をフル活用していきたいなぁ。
 
けど、単に隙のない完璧なものとか見たり
奇想天外なもの見たら、CG見たいって言っちゃうかも。笑
 
 
ハリケーンのごとく何かを巻き起こしたい!
イワケーンでした!