イワケーン日記

何かを巻き起こす良いハリケーンでいたい。建築・インテリアデザインの仕事がメインです。このブログに書いているのは正しい意見ではなく、「僕が感じたこと」の記録です。@iwakeen1017

「ヤバそう」ならサッサと逃げろ。-置いてかれるパラノ、逃げるスキゾ-

こんにちは。イワケーンです。

「逃げること」ということを考えた記事です。

・自分が何がしたいのか分からない。

・飽き性ですぐブレると言われる。

・一度決めた事だから諦めない方がいいのか。

 と悩む方には何か参考になるかもしれません。戸惑ってる方は是非読んでみて。

f:id:iwakeen:20200727193409j:plain 目次はこちら!!

 

1.「サッサと逃げろ」

結論から申し上げますと、タイトルにもある通り「なんかヤバそう」と思ったら全力で逃げてください。全力です。ウジウジしてる時間はありません。そんな事していたら、誰も責任とってくれないのに心中することになります。もう一度、逃げてください!笑
 
冒頭から煽りに煽ってみました。申し訳ありません。というのも、今だに「長い間コツコツと諦めず、頑張っている人は偉い」という文化が日本に蔓延っていると思っています。僕はこの文化が気に食わない(笑)なんとかこのネタについて考えを整理しておきたかったため、今回記事を書きました。今回の記事では「パラノとスキゾ」という観点から「逃げること」を考えます。
 

2.「パラノとスキゾ」

パラノとスキゾって何??40代後半以上の方はこの用語が一時期流行していたことを含めご存知の方が多いのではないでしょうか。当時は浅田翔さんの「逃走論」にこの言葉が使われ流行語大賞の銅賞にもなったほどです。1984年の出来事なので、なーんだ結構前のことなのね、と思うかもしれませんが、僕は今の日本にはこの「パラノとスキゾ」という枠組みは改めて必要な概念だなと思います。

 
パラノはパラノイア=偏執(へんしつ)型
スキゾはスキゾフレニア=分裂型
 
という意味を指します。これだけでは良くわかりません。それでは「パラノ」は何に偏執するのか?それは「アイデンティティ」ということになります。パラノ型の人は、例えば「○○大学を卒業して、○○商事に務めていて、○○ヒルズに住んでいる自分」という自分のアイデンティティに固執して、さらにこのような新しい特質の獲得を目指して邁進します。人生ではたまに偶発的な機会や変化が訪れますが、これを彼らが受け入れるかどうかは蓄積してきた過去のアイデンティティと照合して、整合が取れているのかどうかにかかっています。つまり選択は過去の自分がやりそうな事かどうか。そんなパラノ型の人は他者からは「一貫性のあるわかりやすい人格・人生」ということになります。
 
一方で「スキゾ」は何が分裂するのかというと、こちらも「アイデンティティ」です(笑)スキゾ型の人は、固定的なアイデンティティに縛られることがありません。自分の美意識や直感の赴くままに行動し、その時点での判断・行動・発言と過去のアイデンティティや自分との整合性についてはこだわりません。偶発的に起こる変化や機会に関してはその時々の直感や嗅覚に従って、受け入れたり受けいられなかったりするだけで、過去の蓄積した自分、アイデンティティとの整合性は顧みられません。そんなスキゾ型は他者から「飽き性でフラフラしていて一貫性のない人格・人生」とみられがちです。そうみられがち。(やだねー日本)
 

3.「スキゾが良い理由」

さて、なぜこの二つのコンセプトが今重要なのか。この辺りはざっくり浅田翔さんの「逃走論」から抜粋します。笑
 
”さて、もっとも基本的なパラノ型の行動といえば「住む」ってことだろう。一家をかまえ、そこをセンターとしてテリトリーとしてテリトリーの拡大を図ると同時に、家財をうず高く蓄積する。妻を性的に独占し、産ませた子供の尻を叩いて、一家の発展を目指す。このゲームは途中で降りたら負けだ。「やめられない、とまらない」でもって、どうしてもパラノ型になっちゃうわけね。これはビョーキといえばビョーキなんだけど、近代文明というものはまさしくこうしたパラノ・ドライブによってここまで成長してきたのだった。そしてまた、成長が続いている限りは、楽じゃないと言ってもそれなりに安定していられる、というワケ。ところが事態は急変したりすると、パラノ型っていうのは弱いんだよな。ヘタをすると、砦にたてこもって奮闘したあげく玉砕、なんてことにもなりかねない。ここで「住む人」にかわって登場するのが「逃げる人」なのだ。コイツは何かあったら逃げる。踏みとどまったりせず、とにかく逃げる。そのためには身軽じゃないといけない。家というセンターを持たず、絶えずボーダーに身をおく。家財をため込んだり、家長として妻子に君臨したりはしてられないから、その都度合わせのもので用を足し、子種も適当にばらまいておいてあとは運任せ。頼りになるのは、自体の変化を捉えるセンス、偶然に対する勘、ただそれだけだ。とくると、これはまさしくスキゾ型、というワケね。”
 
子種の話はともかく。この指摘には二つのポイントがあります。一つは「パラノ型は環境に弱い」という指摘。もう一つは「逃げる」という点です。それぞれ考えていきましょう。
 
一つ目の「パラノ型は環境に弱い」について。今回のコロナ禍でさらに拍車がかかっていますが、昨今の企業や事業の寿命はどんどん短くなっています。この状況を個人のアイデンティティ形成と紐づけて考えてみると。。。職業というのはアイデンティティ形成の最も重要な要素ですから、一つのアイデンティティに縛られるということになります。一方で会社の寿命はどんどん短くなっている。この二つをかけ合わせると、すなわち「アイデンティティに固執するのは危険である」という結論が生まれます。僕たちは「一貫性がある」「ブレない」「この道ウン十年」みたいなことを手放しで賞賛するおめでたいところがあります。ですが、そんな価値観に縛られて、自分のアイデンティティをパラノ型に固執していると、自殺行為になりかねません。気をつけたいところです。
 
二つ目の「逃げる」という点について。パラノ型を「住む人」と定義した上で、スキゾ型を「逃げる人」と定義しています。住むに対して、対置させるのであれば「移住する人」とか「移動する人」などの定義もあっただろうに、そうはせず「逃げる人」という定義をしている。なんだか非常に鋭いです。「逃げる」というのは、別に行き先がなくても、とにかく「ここから逃げる」ということだと思います。つまり、「必ずしも行き先が分かっているわけではないけど、ここはヤバそうだから動こう!」というマインドの持ち主が、スキゾ型だと言っているみたいです。
 
何がしたいとか、何が得意であるとか、自分に合っているかどうかなんて考えても、仕事はやってみないと面白いのかどうかわかりません。例えば、事務の仕事が必ずしもつまらない訳でもないし、デザインの仕事が必ずしも面白いわけではない。モジモジ考えていたらせっかくのチャンスを逃してしまうかもしれません。
 
要するに、大事なのは行き先なんて決まっていなくても「どうやらヤバそう」と感じたならさっさと逃げろ、ということです。もっと目を凝らして、耳をすまして周りで何が起きているのかを見極める。さっきの事例では「頼りになるのは、事態の変化をとらえるセンス、偶然に対する勘、それだけだ」とありました。周囲が「大丈夫」と言っていても、自分が「危ない!!!」と直感したら逃げる。これを意識したいところです。
 

4.「逃げる方が勇気がいる」

ここで重要になってくるのが、「危機感のアンテナの感度」と「逃げる決断をするための勇気」です。往々にして勘違いされていますが、「逃げる」のは「勇気がない」からではありません。むしろ「勇気がある」からこそ逃げられるんです。
 
20年前は広告代理店は就職ランキングの上位を占めていました。しかし現在ではメディアや通信環境の影響を受けて最も将来の不確実性が高い業種の一つです。誰もが羨むような花形の職種や会社が「花形」のままでいられる時間はどんどん短くなっています。きっとこの先20年後は現在の花形の職種や職業は変化しているでしょう。そんな時、さっさと捨て去って、なお「自分」というものを「崩壊せずに分裂させておく」ことができるのか。パラノからスキゾへの転換が求められているような気がします。
 
で!ここで留意しておきたいのが、日本の社会では今だに、一箇所に踏みとどまって努力し続けるパラノ型を礼賛し、次から次へと飽きっぽく変位転遷していくスキゾ型を卑下する傾向が強いということです。。。こういったパラノ礼賛、スキゾ卑下の職業観が日本のイノベーションを停滞させる要因の一つとなっているのかもしれません。。。
 
 この社会的な価値観が「スキゾ型」戦略を採用しようとする時、大きな心理的ブレーキとして働くことになります。だからこそ、逃げる時には強い意志と勇気がいるのです。世間の風評を気にして、固定概念を持ってして悪口を叩いてくる相手を気にして、沈没する船の中でモジモジしていたらそれこそ人生を台無しにしかねません。逃げることは、同じところにいて頑張るよりエネルギーが必要なのです。
 

5.「あなたは沈没する船の中にいる?」

大勢の人が「一度船に乗った以上、最後まで頑張るんだ」と息巻いて漫画の主人公のように声を上げている中、「僕はこの船と心中するつもりはありません。お先に失礼します。」といって逃げるとき、どれだけの勇気がいるだろうか。考えてみてください。スキゾ型は軽薄で軟弱な生き様に思えるかもしれません。しかし全くそうではない。むしろ勇気と強度を持っている人こそ現状に疑問を抱き、行動し、人生をしたたかに歩んでいける。そうあると僕は信じています。
 
どんなにパラノ型が心配して声をかけてこようが、あなたのことを本当に心配していたとしても経済的にも社会的にも一生責任を取ってくれる訳ではないのです。甘い言葉にかまけず、行動し変化し続ける。スキゾ型であること、「ヤバそう」ならサッサと逃げること。どうか実践してみてください。
 
 
ちなみにこの、「パラノとスキゾ」はフランスの哲学者であるジル・ドゥルーズさんが書いた「アンチ・オイディプス」という中で用いられたのが原点です。また文中に、家を購入することが推奨できないとするような一文がありましたが、自邸を持つことは個人の自由です。その分、心の安定や仕事へのモチベーションにもなり得ます。身動きが取りずらいという観点で使用したので不快な思いをされた方には深くお詫び申し上げます!